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2016年9月21日 (水)

四苦を超える

今日から大学で6回の講座が始まった。講座名は「四苦を超える物語」 何故人間として

生まれたのか、生きることの意味はあるのか、など、何故(Why) という質問に答えること

は難しい。仏教の智慧はその何故に答える物語を持っている。 生きていくことの意味・

物語、そして老いることの意味、病むこと・死ぬことの意味 をどう教えているのか、を尋ね

ていく。この講座は継続講座。小生は今回が初受講。

来客で出発が少し遅れ、バスに乗り、電車に乗り、歩き、開講時間ギリギリで到着。

教室は満席。最前列、最右席の教室出入り口前に1つ空席があり着席、と同時に講義が

始まった。受講者は75名で満員。

その講義のほんの一部を紹介。が、横長~い黒板、最前列の最右席から黒板左端部の

文字は、小さい文字、崩し字で書いてあるから解読に苦しむ。我が聴力に支障は無かっ

たが。今日は前期の復習から始まる。

「苦」の起こる原理は私の「思い」と「現実」にがあることによるもの。人はいつまでも

若くありたい、健康でいたい、死にたくはない、と言う思いがあるも、 現実には老いがあり、

傷病があり、死にも直面する。医療は生老病死の四苦の課題に取り組んでいる。

治癒可能な疾患には大きな力を発揮して、病気から救うという働きをする。 しかし、それに

は限界があり、老化を止めることは出来ず、難病などには根本的な治療は出来ず、一時

的な救いはもたらすが、最終的には「死」の前に敗北。医学からはそれ以上の「苦」への

対策の発想は出ない。多くの医療者は「死んでしまえばおしまい」と考えている。

仏教は苦の根本的解決を目指す。それは仏の智慧の世界で、私のいかなる現実も

受容する」道に導くと言うこと。多くの医療者の発想には全くない領域である。

人間には二つの苦悩があり、一つは、人間として生まれてきてから経験する苦しみ悩み。

これは政治、経済、文化、教育などで解決を目指す領域。

もう一つは「人間であるため」の苦悩、「人間に生まれたために」背負っていかなければ

ならない苦悩で、仏教が関わるのがこの苦悩である。 具体的には、物事を見る、考える

時、自己中心に見てしまう(邪見、我見、我慢、我愛)

(邪見:よこしまな見方、我見:自分だけの偏った狭い見方、我慢:高慢、我愛:自己愛)

理性、知性、分別が煩悩に汚染されている。邪魔をしている。思い通りにしたいという

貪欲という人間の心の問題。思うようにいかない時、腹を立てる。愚痴、腹立ちや悩みの

原因が分からず、他へ責任転嫁することなど。人間であるための苦悩、それは生身を

持ち必ず、老病死する。かつ、自我意識(意味、意義、価値、物語を求める)を持つ人間

が背負う課題、生老病死の四苦である。仏教は悟り、信心によって現実を受容する、

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受け入れる世界が展開します。

仏教はその起こった現実をどう受け止める

かの智慧を教える。仏智は、あるがままを

あるがままに正しく見極めます・・・・・・。

仏教では「自我などない、無我」と教えます。

自我とは「思い込み」です。沸き起こる

感情を「私の感情」と思い込むものを

「自我」と呼ぶのです。それを「自分の心」だと言うのは大きな錯覚です。心こそ、感情こそ

自分だと思っています。それは違います。自我とは「心を自分だと思うシステム」です。

よくよく考えてみると私とは心に振り回されてきたのかも知れません。「心(感情)の奴隷」

だったのではありませんか?「私」とは、心への「執着」の別名です。仏教は端的に言うと

心を手放すのです。頭の中に浮かんでくる感情を「傍観」するのです。怒りが湧いてきたら

「あぁ怒りの感情がわいてきたなぁ」と客観視するのです。私から仏様を見る眼から、仏様

の眼を通して私自身の有り様を見ることへの転換を「回心」と呼ぶことが出来る。

自分の心だと思い、その心を浄化していくことを宗教だと考えている人が多いのではない

でしょうか。仏教は違います。「心」という感情の寄せ集めを「自分だ」と思い込んで生きて

いることに「気付きなさい」ということです。    さて、小生、性格はせっかちだ。

車の運転に良くない。しかし最近、歳を老い、この性格が抑制的になってきた。 遅い

前の車にイライラする、から、「前の車は事故を誘っている」、という思いになってきた。

講義を終えたのが12時過ぎ、学食は学生でいっぱい。少し時間をズラせて学食で美味しく

食事をし、帰途につくも、雨が降ってきた。地下の生協で傘を買い、JR京都駅の百貨店を

ぶらりウィンドショッピングをして帰りました。

尚、今回の講師は、医師でもあり、文学部の教授でもある。

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