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2016年11月30日 (水)

四苦を超える3

昨夕のニュースで酔っ払い、目の不自由な人がホームから転落する事故が発生しており、

その防止対策としてホームドアがある。しかし、費用の面で全駅設置には限界がある。

酔っ払いはホームにある待合ベンチから立ち上がると前進して転落しているという。

だからこのベンチの配置を90度回して、向きを列車の進行方向にするという。 今日、

講座に向かう途中、1駅目を通過した処でニュース内容を想い出し、ベンチを観察した。

京都駅までの間の全ての駅のホームベンチの向きが既に変わっている。ホーム上には

動かした痕跡があり、つい最近工事をしたのであろう。その素早い安全対応に驚く。

そんな観察をしながら電車に乗り、歩き、キャンパスに到着。今日は補講授業、開講時刻

が13:15と1限遅い、先ず、美味しい学食で食事をし、授業に臨む。

その講義内容の一部である。その内容の一部は毎回繰り返し出てくる。

◇都市社会と田舎社会(比喩)

我々は都市社会に生きている。目的があり、人間の思いが実現できる便利で快適な社会

に生きている。 それは、

死・・・・・存在しないが如く
老人・・・老いの意味を噛みしめることなく、若さを強調(高齢者の健康指導)
病人・・・病に学ぶことなく病気からの脱出、健康への復帰を・・・良くなると励まされ。

部品化、物(もの)化、管理・責任社会で生きている。How toの仕組みの中に生きている。

物の表面的な価値を計算する見方(理性、知性)、計算的思考で生きている。

思い通りにしたい。管理し、支配する。

例えば、小生の今日のこれまでの行動を観ても、13時からの講座、XX時に家を出て、

XX時には京都駅に着き、XX時から学食で昼食を摂り、少し休んで開講30分前に教室に

入る、と頭の中で計算し、管理し、行動している。

我々は今、老、病、死はマイナス(思考)と捉え、そのことによって不幸が完成する。

善/悪、損/得、勝/負で判断、分別している。煩悩が邪魔をしているから。

老・病・死という人間の有限性に直面することから眼をそらし、避けることの出来ない経験

から学ぶことを忘れてしまっている。近代社会は苦痛を避け、死を隠蔽して、そこから学ぶ

ことを拒否してしまい、その結果「生」の意義も見失った。

管理責任の一例で、病院で高齢の患者が亡くなった。食べ物を戻し、誤嚥で亡くなった。

これを病院の落ち度と訴え、管理責任を問う。

田舎社会(比喩)では、農作業をしていたら、突然雨が降ってきた。急遽、農作業を取り

やめ、代わりの作業に取りかかる。自然の変化に抗う事は出来ない。その自然の変化の

一瞬一瞬を判断し、行動し生きている。人生とは取り返しのつかない決断の行動である。

Whyの全体的(根源的)思考で、物(自然)の言う声を聞き、管理、支配はしない。

物の背後に宿されている意味を感得する見方、この現実は私に何を教えようとしているか。

人間として自然を受容する文化 、が必要である。

講義を聴き、今まで長く生きてきた競争社会、その科学的・合理的思考から脱却しなさいと

言うもの。理性・知性の分別から。現役の若者にはこのような思考で現実の社会を生きる

事は不可能。出来るとすればそれはお寺、仏門に入る、出家するしかない。

しかし、老・病・死が身近になった、現役をとっくに引退した高齢者に勧める考え、仏の教え

である。その思考により、苦が苦ではなくなりますよ、と言う教え。

我々は60兆個の細胞を持っている。毎日、その1/200が壊れ、1/200が再合成され

て生きている。体内細胞は日々死に、日々生まれているのである。生まれると言うことは、

同時に死を背負って生まれるという事。

朝/生、夜/死、一日完結、生死一如(生きると事と死ぬ事は表裏一体)生かされている

のである。当たり前を正し、足を知り、自ら作り出している苦を超えなさいと。

小生は、仏門の門を講義で叩き、足を一歩踏み入れた初歩レベル、永年の思考を転換

することは現実に生きている社会では難しい。しかし、その考え方、教え、説こうとしている

ことは概ね理解出来るが、実践は難しい。が、しかし、少なからぬ影響を受ける。 今後、

病・死に直面するとより影響を受けるだろう。この講義を聴いていると我が耳earはとても

痛い。先ず始めは、両手を合せて南無阿弥陀仏の合掌であるようだ。仏の智慧を求めて。

*加筆推敲中

2016年11月16日 (水)

四苦を超える2

四苦を超える物語の3回目の講義。2回目講義が台風襲来で途中で終わり、休講扱い

となった。故に今日が2回目の講義である。再来週は休講の補講日に設定された。

講義の内容を一概に説明することは難しい。そのレジュメの極一説。

「分断生死」・・・凡夫の迷いの生死、良い、短いで測られる身命、分かれて次々と起こって

くる生・老・病・死。問題が解決したら、また次の問題が起こってくる。

次々に起きる問題に悩まされて「やれやれ」と言うことがない。身体とその寿命とに分段

(限界)がある生死、我々凡夫が被る生死のあり方である。生と死を実体視し、分段(分断)

している立場。従って死は生を断ち切るものであり、生はいつも死に脅え、死の不安を持

った生である。 これに対し、変易(へんにゃく)生死がある。

これは仏の悲願力によって身命を改転(仏教用語)し、定まった際限の無い生死を

「不思議変易生死」という。変易とは姿形の区別や寿命の長短でなく、普遍の意味である。

仏教では、人間にとって不如意且つ、不可避な生死の苦からの解放を、分断生死を離れ

て、不思議変易生死の自覚という生死観への転換によって果たす。

通俗世界からの解脱を説くのであるが、なかなかそのような境地に考えを改めることは

容易ではない と、講義を聴きながら今も科学的合理的主義の世界に浸るのである。

知人に、小生に勝る仏教学を学んでいるという先輩がいるが、変わりはせぬものだ。

12時過ぎに講義を終え、ほぼ満席の学生食堂で昼食を終え、キャンパスで暫し休憩。

13時に正門前で老婆(ラオポ)と待ち合わせとなっている。座っている小生の後ろから肩を

叩く、珍しく時間を守った。守らなければ今回、小生は遁走する予定であったが、相手は

そのリスクを察知して時間厳守である、珍しく。今回、13時半の要望を敢えて13時とした。

いつも遅れるリスクを小生は30分見込んだのである。小生の京都での講義日程を調べ、

好まぬが小生の行動に随伴する。午後から向かう目的地は西国33ヶ所の18番、19番

札所。西本願寺隣のキャンパスから歩いて先ず向かう先は18番札所の六角堂頂法寺。

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地下鉄烏丸御池から3分とある。老婆(ラオポ)は京都の地図は詳しい。ウォーキング、

歩いて向かうことにする。ほどなく東本願寺に辿り着き、初めてその門前通りを歩く。

仏具屋さんが多い。烏丸通りを歩き地下鉄烏丸御池駅を目指す。六角堂の看板が見える。

本堂が六角形をした小さなお寺である。手水場で手を洗い、ロウソクを灯し、線香を供え、

お札を奉納、賽銭をあげ、鰐口を鳴らし、合掌。数珠、経本を片手にお経を唱える。暫し、

観音様の顔を覗くも堂内薄暗くなかなか認識できない、その後、納経帳に御朱印を戴く。

聖徳太子沐浴を伝える池には白鳥が3羽泳いでいる。その畔には、これ六角堂のビル、

と思える大きなビルが建っている。華道池坊のビル、発祥の地に建つ。

次の19番札所に向かう。目標とする丸太町駅に向かう。更に上がらなければならない。

広い御所が見えてきた。寺の看板は捜せど見付からない。スマホを片手に札所である

革堂行願寺を目指す。便利な案内役だ。御所の近くで、小さなお寺。33ヶ所で唯一の

尼寺。こうして無事に2ヶ所の札所を巡った。寺巡りは心が落ち着き小生は好きだ。

歴史がある古き建物、多くの緑に囲まれ、山に囲まれ自然豊かな地にある。

今回の2寺はコンクリート建物の谷間にあった。今回で18の札所を巡った。約半分。

参拝を終え、寺町通りを下る。 途中、本能寺に立ち寄り、四条通りに出る。

高島屋をぶらりと観て回り、四条河原町からバスでJR京都駅に戻る。

老婆(ラオポ)が美味しいソフトクリームを奢るという。駅2階の小さな店だが、女性客で

いっぱい。席を確保。美味しく食べていると隣席の女性が1人から4人になった。

表情の勢いが、顔付きが違う、中国人だ。小生、中国語の勉強には格好のお相手と、

話す機会を覗う。しかし、どうも割り込めない。歳は40歳前後、真剣な形相で、キツイ目付

きで話に夢中だ。何か企んでいる?キツイ女性、今回は敬遠しましたconfident

駅前地下の食堂街で食事をし、帰途につきました。今日1日、歩いた距離は18000歩余、

約10km。5日前のゴルフの脚痛もあって疲れました。

それにしても老婆(ラオポ)、脊椎側湾症だが、よく歩いたものだ。

2016年10月 5日 (水)

四苦を超える1

それにしても凄いsign03日本の頭脳の勢いが凄い。今年も日本人がノーベル賞を受賞した。

なんと凄いことだ。2008年から14年までは隔年受賞、14年からは毎年受賞している。

12年はips細胞の山中教授が1人であったが、それ以降、最近は複数が受賞。

今年も複数受賞の可能性がある。こうした先端研究のお陰で、徐々に生命のしくみが

解明されていく。医学が発展し、不治の病に光明が射し、克服され、人間の寿命が伸びる。

しかし、まだまだ生命体は解らないことがイッパイだ。

この快挙に喜んでばかりはいられないようだ。これらの研究成果は20~40年と長い歳月

の地味で我慢強い日々の研究成果である。日本の高度経済成長の頃の経済的豊かさの

恩恵が、研究環境が良かったからこの実績に繋がったという見方がある。その頃に比べ、

今は短期の結果が求められ、経済環境面で基礎研究が十分な環境下にはないようだ。

今後、受賞者は減っていくだろうと予想がされている。

さて、今日は「四苦を超える物語」講座の2回目の授業。授業開始30分前には着席。

10時45分から授業開始。講師が入室し授業を始めようとしたら、校内放送が流れた。

台風の影響で2時限目からの授業は休講とする旨の放送が流れた。判断基準は公共

交通機関がストップする恐れが有る場合で、今後その影響があると判断したようだ。

みんな唖然とする。講師もスケジュールが満杯で補講日の日程も苦しく、今日は前泊して

今日の授業に臨んだというから、講義を終えたいのだ。事務局と交渉をし、講義ではなく

お話をするという策でレジュメを元に話を始められた。数人がちらほらと帰って行く。

先ず、前回の復習。私という人間が生まれて、社会の中でしあわせを求めて生きていく。

科学的、合理的思考で以て、自分の持つ理性、知性の分別によって生きていく。

科学的、合理的主義で生きている。この主義とは中毒とも言える。われわれは地獄、畜生

の世界で生きていると言える。例えば、眼が見えないからマイナスー、見えるからプラス+

という科学的、合理的主義で判断し生きている。見えなければ社会的ハンディがあり、

劣等感を抱き、悩みに陥る。仏の世界は悟り、無分別の世界。あるがままに生きる。

自分の今の姿をちゃんと受け入れて生きると言うことが浄土真宗の教え。

親鸞という人も『何かすればいいことがある』みたいなことは言わない。そういう考え、

そこから離れなければダメ。「幻を追いかけるんじゃなくて、幻を追いかけなくてもいい

人生を送ることが救いである。追いかけなくなることがご利益になるんだ。」の考え。

今を精一杯生きる。畑仕事が一段落して、野原に座って二人でお茶を飲んでいるとき、

爺さんは婆さんに言った。「あぜ道に綺麗な花が咲いているだろう。あの花達はなぁ、

明日も咲こうと思って咲いているんじゃないんだ。今日をいっぱいに咲いているんだ。

柿の木で小鳥が鳴いているだろう。あの小鳥たちは明日も、明後日も鳴くぞと思って

鳴いているのではないぞ。今をいっぱいに鳴いておるんだ。」今を精一杯なんだ。

京都大学ではチンパンジーを研究している。褥瘡(床ずれ)の猿、先は短いと思うが、

彼らは死の意識がない。元気なときと同様の相変わらずの悪さをする。動物は死期

を意識しない、知らない。(象は死期を知る?!)

「お前なぁ、今日一日だけと思えば、欲しいものは何一つ無くなるよ。だってそうだろう。

今日一日なら財産を残しても仕方が無いんだから・・・」

我々は自分を中心にして人生の意味を問い、人生から何かを期待しようとする。

自己中心から世界を見る見方である。自己中心的に人生に何を期待できるかを問うの

ではなくして、逆に「人生は何を我々から期待しているのか」という観点に変更しなければ

ならない。自己から人生を問うのではなくて、人生から自己を問うのでなくてはならない。

ここからは小生の弁。生活習慣病という身体の病がある。われわれの思考も毎日同じ

思考、習慣の繰り返し、狭い思考範囲から抜け出せない。若い時は日々の生活を科学的、

合理的思考でしあわせを求めて日々を生きている。その延長で幾つになっても抜け出せ

ない思考習慣病である。若いときからの延長で、歳を重ねていく。歳とともに老となり身体

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も、能力も衰え、置かれた回りの環境も

変化していく。そして病を患い、悩み、死

を恐れ、死に至る。この習慣となった定常

思考から抜け出すともっと違った新しい世界、

価値観、考えが生まれるのであろう。悩み、

苦しみから解放されることが出来るのだろう

と。小生のブログはあるがままに・・・、しかし。

あるがままに生きようとするが、「しかし」が付き、なかなか難しいもの。どうしても逆らって

しまう。ただ、ある私的な一件はあるがままに・・・、を貫いている。どうしようもないからthink

我が身近な人は小生を真似てあるがままに・・・、を通している。柳に風でどうも厄介だ。

このブログタイトルのあるがままに、これはビートルズの有名な曲「Let it be」からヒント

を得たもの。なるようになれ、あるがままに、なすがままに。  先ず最初にメールアドレス

に反映させた、「letitbe_70@ ~ .jp」として。我が心の苦境の時に浮かんだもの。

それから、我が愛用のipad、その本体裏面には次のように印字してもらった。

  Life doesn’t go the way we want it to. Let it be!!

90分授業であるが、再び当局から中止要請が入り、早目の約1時間でお話を終えた。

時刻は12時前、学生食堂は空いている。美味しい昼食を食べ、帰宅を急ぎましたrun

2016年9月21日 (水)

四苦を超える

今日から大学で6回の講座が始まった。講座名は「四苦を超える物語」 何故人間として

生まれたのか、生きることの意味はあるのか、など、何故(Why) という質問に答えること

は難しい。仏教の智慧はその何故に答える物語を持っている。 生きていくことの意味・

物語、そして老いることの意味、病むこと・死ぬことの意味 をどう教えているのか、を尋ね

ていく。この講座は継続講座。小生は今回が初受講。

来客で出発が少し遅れ、バスに乗り、電車に乗り、歩き、開講時間ギリギリで到着。

教室は満席。最前列、最右席の教室出入り口前に1つ空席があり着席、と同時に講義が

始まった。受講者は75名で満員。

その講義のほんの一部を紹介。が、横長~い黒板、最前列の最右席から黒板左端部の

文字は、小さい文字、崩し字で書いてあるから解読に苦しむ。我が聴力に支障は無かっ

たが。今日は前期の復習から始まる。

「苦」の起こる原理は私の「思い」と「現実」にがあることによるもの。人はいつまでも

若くありたい、健康でいたい、死にたくはない、と言う思いがあるも、 現実には老いがあり、

傷病があり、死にも直面する。医療は生老病死の四苦の課題に取り組んでいる。

治癒可能な疾患には大きな力を発揮して、病気から救うという働きをする。 しかし、それに

は限界があり、老化を止めることは出来ず、難病などには根本的な治療は出来ず、一時

的な救いはもたらすが、最終的には「死」の前に敗北。医学からはそれ以上の「苦」への

対策の発想は出ない。多くの医療者は「死んでしまえばおしまい」と考えている。

仏教は苦の根本的解決を目指す。それは仏の智慧の世界で、私のいかなる現実も

受容する」道に導くと言うこと。多くの医療者の発想には全くない領域である。

人間には二つの苦悩があり、一つは、人間として生まれてきてから経験する苦しみ悩み。

これは政治、経済、文化、教育などで解決を目指す領域。

もう一つは「人間であるため」の苦悩、「人間に生まれたために」背負っていかなければ

ならない苦悩で、仏教が関わるのがこの苦悩である。 具体的には、物事を見る、考える

時、自己中心に見てしまう(邪見、我見、我慢、我愛)

(邪見:よこしまな見方、我見:自分だけの偏った狭い見方、我慢:高慢、我愛:自己愛)

理性、知性、分別が煩悩に汚染されている。邪魔をしている。思い通りにしたいという

貪欲という人間の心の問題。思うようにいかない時、腹を立てる。愚痴、腹立ちや悩みの

原因が分からず、他へ責任転嫁することなど。人間であるための苦悩、それは生身を

持ち必ず、老病死する。かつ、自我意識(意味、意義、価値、物語を求める)を持つ人間

が背負う課題、生老病死の四苦である。仏教は悟り、信心によって現実を受容する、

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受け入れる世界が展開します。

仏教はその起こった現実をどう受け止める

かの智慧を教える。仏智は、あるがままを

あるがままに正しく見極めます・・・・・・。

仏教では「自我などない、無我」と教えます。

自我とは「思い込み」です。沸き起こる

感情を「私の感情」と思い込むものを

「自我」と呼ぶのです。それを「自分の心」だと言うのは大きな錯覚です。心こそ、感情こそ

自分だと思っています。それは違います。自我とは「心を自分だと思うシステム」です。

よくよく考えてみると私とは心に振り回されてきたのかも知れません。「心(感情)の奴隷」

だったのではありませんか?「私」とは、心への「執着」の別名です。仏教は端的に言うと

心を手放すのです。頭の中に浮かんでくる感情を「傍観」するのです。怒りが湧いてきたら

「あぁ怒りの感情がわいてきたなぁ」と客観視するのです。私から仏様を見る眼から、仏様

の眼を通して私自身の有り様を見ることへの転換を「回心」と呼ぶことが出来る。

自分の心だと思い、その心を浄化していくことを宗教だと考えている人が多いのではない

でしょうか。仏教は違います。「心」という感情の寄せ集めを「自分だ」と思い込んで生きて

いることに「気付きなさい」ということです。    さて、小生、性格はせっかちだ。

車の運転に良くない。しかし最近、歳を老い、この性格が抑制的になってきた。 遅い

前の車にイライラする、から、「前の車は事故を誘っている」、という思いになってきた。

講義を終えたのが12時過ぎ、学食は学生でいっぱい。少し時間をズラせて学食で美味しく

食事をし、帰途につくも、雨が降ってきた。地下の生協で傘を買い、JR京都駅の百貨店を

ぶらりウィンドショッピングをして帰りました。

尚、今回の講師は、医師でもあり、文学部の教授でもある。

2016年7月 8日 (金)

植物資料館へ

園芸ボランティア行事の一環で山科にある山科植物資料館に行ってきた。天気が怪しく

3名が欠席し、7名で訪れた。地下鉄椥辻駅13:30集合。12時20分に家を出る。

さて、その前に余談一つ。毎日?聞くことにしているラジオ講座、10:30からの中国語

講座。ウィークディに自動的に電源が入り、放送が流れる。追われるように聞き入る。

自動電源で開始約5分前にONとなる。その前の30分の放送番組が流れている。

科学と人間という放送。何気なく聞いていたら、何か気になる話をしている。

今日は13回シリーズの最終回という。一度も聞いたことがないが、終わり5分の内容が

気になった。興味を惹く番組。そこでNHKのこの放送番組をWeb上で探した。有った。

13回分がストリーミング放送で自由に聴くことが出来る。その終わり5分余の内容である。

『人も生物である。イエスキリストのような偉人、立派な人は1/100位の確率でいる。

反対に殺人に快感を覚える人も偉人と同様に1/100位の確率でいる。

ピカソなどの素晴らしい絵を観て感動する人もおれば、逆に嘔吐を覚える人もいる。

人も生物、いろいろな人がいる。豊かな日本、年間30万件の万引きが発生している。

性善説は間違いで、増加する異常犯罪。この状況を一般化すると犯罪のある社会が健全

な社会であると言うことが出来る。今も地上に絶滅しないで生きている人間、そのキー

ワードは生物の持つ多様性。これが天変地異が起きても絶滅しない要素』、と放送。

不治の病とされたエイズ、有る確率でエイズに感染しない人が、抵抗力のある人が僅かな

確率でいるという。エイズによる種の絶滅を阻止する。  

さて、本筋に戻り、植物資料館の見学である。日本新薬(株)の植物園である。

この会社、小生の印象は、スポーツが盛んな会社という印象。京都の都市対抗野球の

常連である。小生も加入する野洲市のテニスクラブ、同社のOB中心に運営されている。

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      ミブヨモギ(キク科)                 区画栽培

会社の研究開発は京都、工場は小田原市。従業員1707名。年間売上高842億円。

医薬品705億円、機能食品137億円。病院などの医療施設で用いる薬が主である。

着いて先ずセミナー資料館に案内された。ここで沿革や現状の説明を館長から受ける。

メンバーがなかなか良い説明だったというも小生、どうも難聴、聞き取り難い。

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       ニチニチソウ                   温室

先ず、創業初期1927年に着手したのが回虫駆除薬サントニンの国産化。サントニンの

原料植物としてシナヨモギが知られていたが、原産国のロシアが流出禁止。それに代わる

原料植物の探索から実施。山科試験農場、山科薬用植物研究所、山科植物資料館と

変遷している。この資料館は有用植物資源の探索と栽培研究などを主要目的とする。

セミナーハウス前には創業時の原料であるミブ(壬生)ヨモギが植えられていた。

80年間に世界各地から収集した3000種を越す薬用・有用植物を栽植。広さ7920㎡。

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バニラ    ↑ 奇想天外

いろいろ珍しい植物がある。香りのするもの、実を、

樹皮を、根を、葉を薬用とするもの等、その姿、形、

色、含有成分は多種多様である。我が家の花のニチニチソウも薬用とある。

雑草と思える植物もあり、沢山の植物を観て回った。ブロックで区画して栽培されており、

その区画には採取した種、実、根などの試料が容器に収められ、その用意されたサンプル

で以て詳しく説明して戴いた。このような説明を聞いていると身の回りにある植物は人間に

とって全てが有益であるように思えてくる。有毒なトリカブトも有益な薬と変わる。

個性有る地球上の植物の多様性の一端を観た。

2016年7月 5日 (火)

仏教を学ぶ4

冒頭、余談を。バングラデッシュで尊い7名の日本人の命がテロで犠牲になった。

このバングラデシュ、親日国である。小生、2009年秋、中国昆明にある雲南師範大学に

40日間の単身語学留学に行った。留学と行ってもよく学びよく遊ぶ、で半分は旅である。

ここで一つの思い出がある。一緒に学んでいた留学生の中にバングラデシュ人が1人居た。

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      後方が彼、中央、教師             於:西双版納(シーサンパンナ)

彼は当時、37歳であったと記憶している。その彼、特段親しいわけでは無いが、小生が

短期留学を終え、先に帰る際になってXXさん、と言って突然菓子箱を手渡した。

小生、もらう筋合いは無い。彼はどうも日本贔屓なのだ、だから日本人の小生に土産を

くれたようだ。日本刀を絶賛していた。強靱で折れないという。鍛造しているからと詳しい。

逆に中国刀はもろく折れるという。帰る際、彼とタイ人2人、南ベトナム人の5人で現地の

ワタミでサンマの日本食をごちそうしました。いろいろ土産をくれました。そして、これらの

国の日本人に対する高い評価を感じました。彼らは私個人に対する礼儀よりも、日本人

という私に敬意を持っているようです。 先人に感謝です。   さて、本題へ。

最終回の講義。講師は再登場の2回目の講師。今日は作務衣姿では無い。

定刻より少し早く登壇し、2~3人に質問。  今日のレジュメはA4 、1枚。

1.それぞれの「しあわせ」  いかなる状況にも対応出来る生き方?
1.自分の「解脱」から、「利他」へ(共に生きる へ)
1.自他って何だろう?   自分ってなんだろう? → 他者・他者論
              思い通りにならない他者 → 苦
1.大乗仏教の自他
1.「色即是空」から「空即是色」へ
1.インドから中国へ         ・・・・・等々

講義、なかなか難解でもあり、容易でもある。仏教を長く学んでおれば理解出来るかも

知れないが、時に飛躍し、なかなか難しい。難聴も手伝って。

小生の理解出来た一部を以下にご紹介。

それぞれのしあわせ・・・・・生きているって素晴らしいなぁ
どんな環境下であってもこう感じられたら素晴らしいこと。 人生、山あり谷あり。
    平常心・平等心・不動心     日々是好日
長い人生、山あり谷あり、波のように上下波動する。

その波中では無く、波に沿って生きていく。

閉鎖的(自己中心的)な在り方・・・争いを生む。心を閉じるのでは無く、心を開を開く。

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日本の仏教は大乗仏教、インドから中国へ、中国から日本へ伝来。

中 国・・・現世利益、現世主義・・・現世が大事

       孔子・・・今を如何に生きるかを追求、来世の事は考えない。
           日々是好日
      政治の下に宗教がある。
政治の下に宗教があり、伝来仏教の解釈も変わる。それが日本に伝来した。

インド・・・来世主義・・・輪廻転生思想
      宗教の下に政治がある。
原始仏教の「色即是空」から「空即是色」
「色」とは、形あるもの、「空」とは、変わる意。形あるものは即ち変わる。

2016年6月22日 (水)

仏教を学ぶ3

昨日は仏教講座4回目。内容は「蓮如上人の教え」

蓮如上人は親鸞から数えて第八代宗主。(1415~1499年)三代目の覚如上人、

存覚上人の教説を受けて伝道につとめ、今日の本願寺教団の基礎をつくり、

本願寺教団中興の祖と仰がれている。

仏教・・・お念仏を称える仏教

仏教とは仏になる教え(成仏)。仏教には8.4万の教えがあると言われる。

個々一人一人、相手に合わせた教えであり、だから数が多い。

この多くの教えを大きく分類すると聖道門と浄土門に分けることが出来る。

聖道門・・・・・この世で仏になる。
浄土門・・・・・仏様の世界で生まれて仏になる。

仏(ぶつ)とは、さとった者、覚者 → 真理 → ありのまま、そのまま(眼横鼻直

タイやミヤンマーに行くとお坊さんは黄土色の袈裟をまとい、修行をしている(修行僧)。

聖道門で仏になるために修行に励む。その修行中のお坊さんに女性(観光客など)が

触れると、修行僧は修行の一からの出直しとなる、だから観光客に対し注意を促す。

仏教もその時代時代で変化している。時代に合わせ変化している。

日本では今の時代、浄土門が主である。 聖道門の苦行の修行に励むものは少ない。

仏(さとり)に向けて、近付くために修行をする、仏道である。仏に最も近い修行僧が菩薩

である。 全ての者が修行をするわけでは無い。中には仏(さとり)方向の修行行動とは

反対方向の行ないをする者も存在する。そのような者には乗り物が必要である。

その乗り物がお念仏である。                 お念仏、

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずか六字なれば、さのみ功能のあるべき

ともおぼえざるに、この六字の名号のうちには無上甚深の功徳利益の広大なること、

さらにそのきはまりなきものなり。されば信心をとるというも、この六字のうちにこもれりと

しるべし。さらに別に信心とて六字のほかにはあるべからざるものなり。『御文章』

   阿弥陀仏のはたらき(お念仏)に乗せられて証(さとり)に至る仏道。

浄土真宗は、第12代目で東西に分派した。現在、東西派も合わせて計10派ある。 

いずれも親鸞の教えを本願とする。 ・・・・・ 後略  今日のレジュメはA4 4枚

今日の講義、胸元にマイクを付けず、ハンドマイクで講義をする。だから聴講に支障は

なかった。後席から2~3度、時折小さく、高い音が聞こえた、発振音が。

補聴器の発振音のようだ。講座を受講する誰かが要望したものか、聞き取り難いと。

小生ではありません。今日の講義は聞きやすかった。が、仏教の初歩講義であるも、

その内容、なかなか難解でもあり、容易でもあって、興味深く聞き入る。

講座を終え、キャンパス内の書店を道草し、帰りの車に乗り込む。着座すると左の耳から

音が入ってくる。何と、左の窓がフルオープンになっている。雨でビショ濡れ、助手席も

濡れている。気がつかなかったが、受講中に一時雨が降ったようだ。

誰が開けたのだ、閉め忘れたのだ、左窓をthink Why、为什么sign02 

哎呀!想起来啊! 翌日の今日、原因を把握。

キャンパスの駐車場に着き、2列のスペースが空いている。しかし、その前で軽トラック

が停まっている。後方に向け大きな看板を掲げて、「工事中」と。 動く気配が無いようだ。

空いているスペースに駐めようとバックすると軽トラのおじさんが何かわめいている。

小生、左窓をオープン。これから駐めるのだと言う。工事中では無かったのだ。

看板を掲げ、暫し動かず、まったく紛らわしいthink お互いに仲良く並列に駐めました。

この時、オープンしたのだthink  だから、軽トラのおじさんが間接犯confident 

処で、レクサスにBMWにベンツ、これらの高級車の上クラスには付いているのだろうか、

離車の際、窓がオープンの時に警告する装置が。

2016年5月24日 (火)

仏教を学ぶ1

畑の、庭の手入れを終え、午後から二回目の受講に出向いた。構内の駐車場を探し、

駐車すると見馴れたような白髪の人物が車の前を横切った。小生、お声がけのご挨拶。

と、一緒に帰ろうと言う、小生はこれから授業を受けるのだ。彼はこのキャンパスでは

有名?なキャンパス大好き人間である。キャンパスをいつも徘徊している。先輩元同僚だ。

彼とは縁あって長い付き合い、40年以上のご縁、腐れ縁。チョット話そうと言うことで

講座が開かれているホールのロビーで談笑。話術が巧みだから何時も圧倒され、専ら

聞き役に回っている。出てくる出てくる?慢話。彼は何時もサックを背負い、遠きところ

から徒歩で通っている。サックの中は語学テキストや講座テキストで詰まっている。

アカデミックな生活スタイルである。彼は左脳が発達している。言語中枢、言葉が、言語

が巧みだ。しかし、その影響か、逆に右脳、感覚を司る右脳が未熟だm(_ _)m。

だから車の運転は苦手、専ら大学までは徒歩だ。故に、時に一緒に帰ろう、が多くなる。

同乗を期待して。会う度に海外旅行に行った話が出てくる。先日、英国に、スペインにと

話が続き、小生聞き役。旅の途上での英語、中国語会話での体験談、?慢話を聞かされる。

小生の体験から考えても、外国語が出来れば当然の如く外国へ行きたくなる。兎に角、

彼の趣味は学問、今も2つの外国語をラジオ講座で学び、実践のために?外国に出向く。

そしてこの大学の公開講座を学んでいる、徹底的に学んでいる。彼の話では仏教思想

の深化、仏教哲学を今後の学びの目標としているようだ。思想、内面の学びを追求して

いるが、一向に人間性に変化は無い。性格は変わらないものだ。

親しき故か、小生を貶し、専ら自尊の言動。何ら悪気は無く、面白く挑発しているのだ。

あぁ、またかと思う次第。当然の如く、親鸞の教えを学び、歎異抄等を学び終えている。

今後、仏教の唯識論(哲学)を追求すると話していた。  そして、

お主は何を学んでいるのだと言う。この講座を学んでいるのだろうと勝手に推察する。

正解だ。彼は既に学んだ講座のようだ。講座ガイド本を見ながら、今日の講師はこの方か、

元東大教授とある。そう二人で話をしていると、今来たあの方ではないかと指さした。

黒い作務衣姿の出で立ち。今日の大講師である。第一回目の講師を従えている。

彼が言うには若い講師は弟子だと言っていた。両者は同じ所属部門で、片や所長である。

そうしてキャンパス大好き人間は言った、今日の大講師の説明はとても分かり易いと。

そして別れ際、キャンパス大好き人間は大講師の今日のレジュメを1枚欲しいと小生に

頼む。そして更に、右脳を使う?パソコンも一度見に来るようにとせがむ。落差が激しい。

この講座は全5回。毎回講師が異なる。大講師による第二回の講義が始まった。

今日のテーマは、「大乗仏教の誕生」-他者の発見- レジュメはA4の1面。

どうも講義が飛躍して分かり難い。聴講しているのは東大の学生では無いのだが・・・。

あなたの幸せは何ですかと問うと、多くの人は自分の幸せについて答える。

「健康」、「家族の幸せ」、「子どもの成長」・・・etc

大乗仏教には、一切衆生の文言が多く出てくる。共に生きていく、人と共に生きていく。

「一切衆生が病む限り、私も病む」、「共に生きる」 (ことの難しさ)

自利、利自(己)・・・自分を利する、自分の利益。

利他・・・他人を利する。自分のことより他人の幸福を願う。「他者のために、他者と共に」

今日の仏教の講義:

我が聴力ear低下+大講師の発声、部分聞き取り難ear+飛躍説明=消化不良

散発的に理解、故に講義内容整然なる説明できず。ご期待に背き誠に申し訳無い。

2016年5月10日 (火)

仏教を学ぶ

講座が始まった。近くにある何時もの大学に出向く。初歩の仏教講座である。全五回の

講義。  仏教は約2500年前にインドで生まれた釈尊(お釈迦さま)の教えである。

インドに生まれ、中央アジア→ 中国 → 朝鮮 → 日本に伝わった、北伝仏教。

片や東南アジア諸国(ミヤンマー、タイ等)に伝わった南伝仏教がある。元は同じ仏教で

ありながら、伝播ルートによっても教えは変節していく。外観だけを観ると南伝仏教の

ミヤンマー、タイなどのお坊さんは全員丸坊主、袈裟も簡素、北伝仏教と対照的である。

初期の仏教には釈迦の時代の原始仏教(初期仏教)、BC4世紀頃の釈迦没後の仏教

である部派仏教、またその後の大乗仏教がある。日本の仏教は大乗仏教。

宗教の定義は宗教学者の数だけあると言われるほど多様である。 その一つは、

「私個人がいかに生きるべきかを問題としたもの」、第二義的には「私個人が社会とどの

ように関わるべきかを考える方向性を与えてくれるもの」と言える。

世界には多種多様な宗教がある、大きく分けて3種類に分類できる。

1.祈りの宗教・・・自力ではとても及ばぬことを超越的な存在に祈る
2.服従の宗教・・・人間を超越した全知全能の神の言葉を真理としてその言葉に従い生きる
3.目覚めの宗教・・自身が真理に目覚めることによって苦を消滅する

仏教の教えは目覚めの仏教、自己中心的なものの見方しかできないこの私(凡夫)が、

普遍的心理(法)によって目覚めていくというもの。

ここで言う真理はキリスト教などの啓示宗教でいう「神のみが示す真理」ではなく、「如来、

世に出ずるも出ざるも、法(真理)は恒に定まれり」と説いているように、すべての人が

認めざるをえない普遍的理法を意味する。

人生は苦なり。生苦、老苦、病苦、死苦の四苦を根本苦という。

この内の生苦では、生まれる先を選べぬ(インドカースト制に拠る)又は迷える世界への

生に対するもの。お釈迦さまのころのインドではカースト制の身分制度があり、生まれ

ながらにして身分は決まっていた。

その当時の宗教はバラモン教、その思想を元にした大乗仏教では六道輪廻という考え。

 天・・・・・・最上の世界
 人・・・・・・人間界
 阿修羅・・・争いの世界
 畜生・・・・・反省する心がない世界(動物)
 餓鬼・・・・・食べるもの、飲むものが手に入らない世界
 地獄・・・・・奈落の底

この人~地獄の世界は迷いの世界。この迷いの連鎖を断ち切ることを解脱という。

この解脱、バラモン教にはない仏教の教えである。

この四苦に「怨憎得苦」(恨み憎むべき者と会う苦)、「愛別離苦」(愛する者と別離する苦)

「求不得苦」(求めても得られない苦)、「五取蘊苦」(現実を構成する五つの要素は苦で

ある)の四つを加えて八苦という。これらの四苦八苦は私自身が背負っている苦であり、

私たちの日常はこれらの苦から目を背け、遠ざけごまかしながら生きているのではない

だろうか。釈尊はすべてのものは無常であり、すべてのものは苦であり、すべてのものは

永遠不変の実体ではない、だから自己中心的なものの見方によって執着してはならない

と説いている。

ブッダとなった釈尊は、苦しみ悩むすべてのいのちあるものを、その苦しみから救うために

仏教(ブッダになるための教え)を説いた。釈尊の説法は「対機説法」、数えることができ

ないほどの多くの教えがある。釈尊の教えはインド以外の地に伝播するに至り、

先ず中国で中国古典と比較しつつ老荘思想などに基づいて仏教を理解、その後には釈尊

の教説の分類作業が行われ、どの教えに釈尊の本意があったのか、最も優れた教えで

あるのかを求め、宗派が成立した。その後日本に伝播し、日本仏教に於いても宗派ごとに

釈迦一代の最高の教えを探求していくことになる。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人は「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」と「浄土真宗こそ

大乗の中の究極の教えである」と述べている。阿弥陀仏の本願力による救済は、すべて

のものが平等に仏になることができる教え、『無量寿経』に示される念仏往生の教えは、

仏の願いに従い、ただ念仏する教えの仏教(ブッダになるための教え)である。

2016年2月 4日 (木)

この世とあの世4

立春。今回も健脚を活かしJR駅へ。5550歩。凄いもので歩数精度は高く変わらない。

今日は気負いはなく、何時もの自然歩行で歩くも45分(信号待ち時間は除外)。

歩行精度は高い。時速約5km余。10年後にはこの時間では無理だろう。

美味しく安価な学食で腹ごしらえ。今日は4回目の最終回の授業に臨む。

「輪廻転生から仏の世界へ「いのち」の転換を考える」

授業はOHPとレジュメ資料により進行。OHPの表示と手元レジュメ資料とが時に異なり、

相似し、メモ記述、記録に手間取る。小生、この分野の予備知識は無く、時に講義内容が

前後し、なかなか大変だ、付いていくのが大変だ。推奨文献も提示して有る。

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興味あるも深入りは億劫となる。インド古典

仏教、需要少なく、必ず書籍があるものでは

無いという。一部は古本屋にあるかものレベル。

少し理解出来た、印象に残った今日の講義

内容である。講義内容を系統的に説明したい

が、小生にその能力は無く、悪しからず。

最前列で聴講しているが、我が耳ear

聴感もサボる。散発的な記述説明になるがご容赦を。

先ず、死後の世界。死んだらみんな同じ? 誰もがみんな同じ世界?
死んでも同じで無い? 人により別々?
西洋の考えでは、「最後の審判」にあるように同じでは無い。
例えば、罪も無い人が殺された。被害者も加害者も同じ世界へ?
やはり、それには関所、裁判の結果で各は死語異なる世界へと導かれる。

次に、南アジア(インド)と東アジア(中国)の倫理規範を支えるものについて。

インドでは来世意識。輪廻転生観で、生きてきた過程、生き様が来世に影響する。
行為と存在である。解りやすい例では、大学医学部で学び卒業しても医師国家試験に合格
しなければ医者にはなれない。でなければ医学部卒のみ。生きてきた証の今(結果)がある。
輪廻思想であるから歴史観が無い

片や中国は後世意識。生きてきた行為と評価で次世代が先代を評価する歴史の国家。
正史を自ら書き(先代を評価)今に至る現政権(共産党)の正統性を主張する。
前代の清の時代を評価し、現代の共産党への正統移行を歴史とする。
台湾は台湾で清の時代を評価し、今ある台湾の立場、政府を正統化して歴史とする。

阿頼耶識(あらやしき)=仏教用語、説明できず、ごめん。
この阿頼耶識の考えは、「酒は呑んだ人が酔う」の考え。酒を呑まされようが、勧めた者が
いようが、あいつが悪いとは言えない。親の行いが悪くて子に報いの考えは通じない、責任
転嫁は通じない。全ては自らの行い、私である。
改心しようが、名前を変えようが、変装しようが、謝ろうが私は私(魂)である。
 この私、1秒前の私 →  今の私  →  1秒後の私
        昨日の私 → 今日の私 → 明日の私
          前世の私 → 今生の私 → 来世の私
これが、始まりの無いときから始まり、終わりの無いときまで続き、生まれ変わり、死に変わり。
阿頼耶識が非連続の連続して、輪廻転生を引き起こす。
この積み重ねが今の私である。2000年前のインド思想である。

穢土(この世)の世界は迷いの世界である。迷いあるもの6道が輪廻する。
人・天・地獄・餓鬼・畜生・修羅であり、例えばの例で天界を説明すれば、ズ~ッと18歳、
病気もせず、10000万年の寿命が尽きたら死。ピンからキリまでの世界。最上位は有頂天。

このような輪廻転生する世界から離脱したい。迷いの無い世界へと解脱したい。
そこが仏の世界(極楽浄土)、悟りの世界である。この世界はみんな同じ平等世界。
仏によって連れて行く。阿弥陀様が救済してくれる。
だから現世の者は既に仏の世界となった者を責めることは出来ない。悪口は言わない。

上記内容、系統、筋道が無く、段落記。今回は重要なところの詳細理解が困難であった由。

先輩受講者の中には仏教をいろいろ深く学んで、追求されておられる方もいただろう。
小生は全くの初心者。今回の最終講義はなかなか理解困難。
全4回の講義時間では難しいようだ(教授の弁)。理解に誤りがあるかも、ご容赦をm(_ _)m

所感)
退職し、拘束時間を離れると自由な時間が増える。自由な時間が増えると考える時間も
増える。悪い脳が働く時間、思考する時間も増える。新たな思考の、疑問の一助になる
その手っ取り早い方法は学ぶこと。自分が興味を持つ、示すことに対し、謙虚に学ぶことになる。
相変わらず好奇心旺盛、今回の講座を学び、また新たな興味が湧いてくる。
知識を多く持つことは人生を豊かにしてくれます、というが、解らないことに対し、解ろうとする
作用が働く。この分野に興味が向くは、どうも小生の死への道程の一行為のようにも思えてくる。

今回の講座、日本は古代の3大文化の影響を受けている希な国だとも教わった。希な国sign01
古代のインド、中国、西洋文化である。深くは古代哲学の領域にも踏み込む内容。
講座を開催する同大学は仏教系、同講座には、小生の欲望を満たしてくれる仏教関連の
講座も多い。4月からまた新たな講座が始まる。元祖インド仏教についてもう少し学ぼう。
あまり深く追求せず気楽に学んでみよう。 そして輪廻転生、来世に期待でもするかとconfident